遠い地ウクウクライナでの戦争に、なぜ心が痛むのでしょうか

1. 「袖(そで)振り合うも他生(多生)の縁」

 私たちには10代遡ると1024人のご先祖がおられます。更に遡ると何千・何万のご先祖がおられるのです。

 そのうち、たった1人欠けただけで、私たちは今ここにいません。またご先祖に兄弟がいると現代までに枝分かれしていきます。例えば今日、道ですれ違った人もご先祖までたどれば親戚かもしれません。


2. 「世界がぜんたい幸福にならないうちは 個人の幸福はあり得ない。」

   『農民芸術概論綱要』「序論」 宮沢賢治(作家・代表作 銀河鉄道の夜など)

 世界の環境も全ての社会のあり方も自分と決して無関係でなく、それらと切り離して自分だけが幸せになることはできません。自分の幸せと他の人の幸せが表裏一体になるのは世界全体が、あるいは生命すべてが繋がっており共に支えあっているからです。これを縁起(えんぎ)の教えといいます。

      

3. 「重々帝網(じゅうじゅうたいもう)なるを 即身(そくしん)と名づく」

                         弘法大師『即身成仏義』

 重(じゆう)々(じゆう)帝(たい)網(もう)とは、帝釈天という仏さまの宮殿を飾る輝く網のことです。、網の結び目の一点一点は宝石(宝珠)になっています。その宝珠は互いを映し合っています。そして網の結び目の宝石は実は私たちなのです。他の宝石と縦横に繋がり、照らされ支えられて“生かされている”のです。

 これを真言宗では「曼(まん)荼(だ)羅(ら)」ということばで表します。本尊・大(だい)日(にち)如(によ)来(らい)の教えが全てに響き亘り、一人一人の仏さまがお互いを供養し合うように、慈しみの心で世界の全てのいのちがつながっているのです。

 こうした教えに反し、一人の人間の止めどない野心から戦火が深まり、日々多くの子供やお年寄りなど罪のない人々が亡くなっています。ウクライナの人々が大切に育んできた平穏な暮らしは、遥か遠い日本の私たちにとっても、かけがえのない大切なものに違いありません。それゆえ私たちの心も痛むのでしょう。不幸な戦争の終結を心より願います。                         (令和4年3月21日 春彼岸会法話)

ウクライナの麦畑の中、何をみつけたのでしょうか。

生麦山 龍泉寺

「身は華とともに落ちぬれども、心は香りとともに飛ぶ。」 弘法大師のことばです。仏さまのもとからこの世に生まれ、また仏さまのもとへと、いつか旅立って行く私たち。身体はなくなってしまっても、幸せを願う想いは、いつまでも心から心へと受け継ぐことができるのです…。生麦山龍泉寺は横浜・鶴見の高野山真言宗のお寺です。