掛時計

本堂内の右の柱に、大きな古い掛時計があります。

 前面のガラスに薄れかけた字で、「昭和46年(1971年)寄贈」と書いてあります。この時計は亡くなった方の供養のために寄贈されたものなのです。

当時、小学生だった私は、その時から月に1度ネジを巻く仕事を与えられました。


 それから50年の月日が経ち、昨年の11月いつものようにネジを巻くと、中から「バチン」と大きな音がして時計は止まりました。ゼンマイが切れてしまったらしい。丁度50回忌の弔い上げにあたり、その時は、時計もお役御免を願い出たのかな、などと考えておりました。


 年が改まり掛け時計を外し、代わりに電波時計を購入して掛けて使っていたのですが、何か落ち着かない。もしかしたら掛時計が「直してくれよ。直せるよ。」と訴えているのか。しかし時計のメーカーも部品メーカーもとうになくなってしまっているし。さてどうしようか…。

 それからあちこち調べて見たところ、横浜・磯子駅近くに掛時計の修理工房を見つけました。早速電話をしたところ、「見せていただけますか。」とのお返事。

 時計を外して工房に持参すると、部屋一杯に修理を待つ大小の時計が、また床や棚には様々な部品が所せましと置かれていました。そして老練な職人さんの2人のうちのお1人が、昔その時計のゼンマイ製作に関わっていた方と判明し、奇遇に大変驚きました。


 時計が職人さんを呼んだのでしょうか。きっと丹精込めてつくられた物には、その職人さんの真心が伝わるのでしょう。昔の日本の製品にはこうした名も知れぬ名工の方々の魂がこもっていて、それは海外に持っていった時に言葉が通じなくても、手に取る人にMade In Japanの素晴らしさとして評価されたのではないでしょうか。


 それから3ヶ月の後、時計はきれいに修理されて寺に戻ってきました。今も元あった場所で、毎正時、澄んだ音色で時を告げています。


 物にも人の心が伝わるとしたら、生きている私たちに人を大切に思う気持ちが伝わらないということはないと思います。多くの人々の真心に見守られ支えられて、私たちは毎日を暮らしているのでしょう。(良光)

生麦山 龍泉寺

「身は華とともに落ちぬれども、心は香りとともに飛ぶ。」 弘法大師のことばです。仏さまのもとからこの世に生まれ、また仏さまのもとへと、いつか旅立って行く私たち。身体はなくなってしまっても、幸せを願う想いは、いつまでも心から心へと受け継ぐことができるのです…。生麦山龍泉寺は横浜・鶴見の高野山真言宗のお寺です。