「蒼生の福 そうせいのさいわい」


 弘法大師は、御年三十一歳の時、唐に渡り、都の西安で青龍寺の恵果和尚に師事。胎蔵界、金剛界、そして密教の師匠としての証である伝法阿閣梨の灌頂を受けました。

  本来は、二十年滞在の予定でしたが、僅か二年で全てを学び、日本に戻ります。その時、師の恵果は 「教えはすべて伝えた、早く日本に戻り天下に教えを広め、蒼生の福を増しなさい。」という言葉を委ね、間もなく亡くなりました。

 「蒼生…そうせい」とは一般の人々のこと。つまり一般の人々の悩み苦しみを抜き幸せにすることこそが、師、恵果の望むことだったのです。

  大師は日本に戻ると、師の教えに忠実に、その生涯をかけて人々の幸せの実現のために邁進されました。四国をお遍路される時、また高野山奥之院をお参りされると、今もお大師さまの人々の幸せを願う心に触れることができます。 

 「ありがたや高野の山の岩かげに大師はいまだおわしますなる…高祖弘法大師第一番御詠歌」

生麦山 龍泉寺

「身は華とともに落ちぬれども、心は香りとともに飛ぶ。」 弘法大師のことばです。仏さまのもとからこの世に生まれ、また仏さまのもとへと、いつか旅立って行く私たち。身体はなくなってしまっても、幸せを願う想いは、いつまでも心から心へと受け継ぐことができるのです…。生麦山龍泉寺は横浜・鶴見の高野山真言宗のお寺です。